プロフィール

はじめまして。

「脱・共依存90日レッスン」
穏やかメンタルカウンセラーの月森ゆりです。

私は夫婦関係が上手くいかず
「自分がダメだからうまく行かない」
「もっと良い妻、良い妻でいなければいけない」
「夫に感謝や優しく出来ない自分がおかしい」

という自己否定から抜けられず
なんと30年以上も苦しんできました。

17歳から一緒にいる経営者の夫のモラハラ化がひどくなってきても
自分の感情を抑制し誰にも相談できず
なんでもないふりをする日常が続き
そのストレスの結果、気管支喘息、嗅覚障害、不眠症
などの身体症状として出現。
それでもその渦中にいるときは、看護師の仕事、家事、育児の忙しさに終われ
自分の身体の不調にも
メンタルが不安定であったことも気にかけず、
自分のことを全て後回しにし続けていました。

夫への抑えていた怒りが我慢の限界値を超えると
些細な出来事から大喧嘩に発展し
「離婚だ、でていけ」と言われるようになっても
離婚にも踏み切れない

優柔不断な自己嫌悪に陥る日々。
3人の子供達に与える心の影響を考えると
申し訳無さが心の奥に常にありました。

ある日、些細なことで涙が止まらなくなり
やっとの思いで
カウンセリングを受け
自分の心と向き合いはじめました。

その時に出会った心理療法は
自分の我慢し続けていた辛い感情を癒やし
本当の自分はどうしたいのか?
を真剣に考えるきっかけとなりました。

理想の夫婦関係を模索し続けていき
それを手に入れたいと思ったときに
一番必要なことは
問題を自分の努力だけで
何とかしようとしたり
相手のせいにするのではなく

自分自身の心の中で起きている辛さを認め
丁寧に紐解きながら理解し
心に揺るがない心の安全基地をつくること
だと気づきました。

更に心理学、脳科学の学びを深めながら
自分とパートナーの特性や気質を理解していくこと
長年引っかかていた心の奥の違和感が
クリアになっていく感覚がありました。

過去の私の苦しみの大きな原因は
私の生い立ちからくる自信の無さや自己否定
相手の気持を先読みしすぎて
気持ちを表出するのが苦手なHSP気質であることや

夫側にも
生い立ちからくる他者への依存性や
自閉症スペクトラム(ASD/アスペルガー症候群)の特性である
他人への共感性が低さ、こだわりの強さ、白黒思考や、想定外のことに対するパニック
攻撃性強さなど相互的なコミュニケーションが苦手でであること

などから長年にわたり
共依存>・<カサンドラ症候群>に陥っていた
ということがわかったのです。

このことから、夫婦のこれからの関係性において
変えられるものと変えられないものが区別できるようになり
対処方法を明確にすることができました。

そのおかげで今では
あの辛かった頃が嘘のように
対等で、お互いを尊重できる夫婦関係になり
無駄に言い争って戦ったり、相手をどうにかしたいなどと
思うことがなくなりました。

同時に自分が今まで悩みながらも
夫と共に過ごしてきた時間が愛おしくも感じています。

身体に現れていた不調も軽快し、
ぐっすりと眠れるようになり夫婦で健康に気遣いながら
穏やかに過ごせています。

おかげで50代になった今が、
これまでの人生で一番自由だと感じられ
夫に応援されながら様々なことにチャレンジできるようにもなりました。

現在は天職と思っていた看護師を退職し
物事を深く考え、人の気持ちを繊細に感じ取るHSPの特性を活かし
過去の自分のように
共依存、カサンドラ症候群、自己否定HSPでお悩みの方へ
自分自身が克服できた経験と
確実に効果を感じられた心理療法を体系化し
カウンセリングを行っています。

看護師経験17年、延べ3万人以上の患者様をサポート
3人のワンオペ育児の経験からも女性特有のお悩みや
職場関係、親子関係のことも
安心して相談していただけます

カウンセリング受けられる方は
ご自分にあったカウンセラーを見つけていただくことが
問題解決の第一歩
となります

私が30年以上抱えてきた悩みを
どのようにして克服してきたかについて
興味がある方は
より詳しいプロフィールを是非御覧ください。

⇓ ⇓ ⇓

【居てもいなくてもいい存在の自分】

【高校の同級生の夫と出会い緊張の交際スタート】

【自己中心的な彼にYESマンでその場しのぎの対応】

【結婚したら変わってくれるかも…結婚、出産、専業主婦へ】

【看護師復職チャレンジを否定する夫】

【裏切り行為】

【夫からの暴言】

【追いまくられる日々】

【実母のようになりたくない】

【仮面夫婦状態・給料運び人】

【もう離婚しかない】

【心身の限界となりカウンセリングへ】

【夫の変化】

【30年ぶりの穏やかな感覚】

【カサンドラ症候群・共依存・HSPの理解】

【カウンセラーの道へ】



【居ても居なくてもいい存在の自分】

1968年、札幌市出身
会社員の父、専業主婦の母
2つ上の姉と4つ下の妹の3姉妹の中間子として生まれ育ちました。
幼少期には虫取りやどろんこ遊び、木登りが好きな活発な子供でした。
服装は男の子のような半ズボン。
髪の毛はベリーショート。
第一子の男児を死産していた母は本当は男の子が欲しかったそうです。

母からは「姉のついで」で育ったと言われ続け
何をするのも「お姉ちゃんの言うことを聞きなさい」

姉について行くと
姉はきっとそれが嫌だったのでしょう。
母のいないところでの意地悪や無視をされ
自然に姉の顔色を伺うようになっていきました。

父に対して幼い頃から苦手意識が強く
「自分だけが可愛がられていない」と感じていました。

母もそれを否定せず
「あんたは汚い遊びばかりするから」

女の子らしい性格の長女と
末っ子で甘え上手な可愛い妹と違って
見た目も可愛くなくて自分に懐かない私に対し
父の言動も態度も明らかに違っていたのです。

両親から私への関心を持たれるがなく
注目されることがない中間子の私は
「いてもいなくてもいい存在」だと感じていました。
このセルフイメージは人生の後半まで持ち続けることになります

自分のことは誰も注目してくれないという寂しさを抱えつつ
成長するにつれて一人で何でもできるように
「手のかからない子」を目指すようになっていきました。

【親の不仲に気づき険悪な雰囲気の家の中】

小学校低学年の頃から
親の不仲には気づいていました。
一緒に食卓を囲んだり
談笑したような記憶はほとんどありません。

中学2年生頃から両親の仲が悪化。
姉とも折り合いが悪く
家に居場所を感じられませんでした。
姉妹が両親の激しい言い争いを止めようと必死になっている中、
私は母の辛そうな顔を見て
「早く別れればいいのに」と冷めた目で見ていました。
思春期特有のやり場のないイライラを
ノートに書きなぐることで発散させていました。

【同級生の夫との出会い、緊張の交際スタート】

高校2年生の時、同級生の現在の夫と出会い
突然告白されて交際が始まります。


彼は学年で知らない人がいないくらい
明るく目立つ存在の人でした。
自分に自信のない私
最初は会話が成り立たないくらい
緊張していました。
そんな自分を彼は引っ張ってくれるので
安心感を感じ、頼もしく感じていました。

彼は父親のアルコール依存が原因で
両親が離婚し苦労してきたことや
お母さんが病弱で入退院を繰り返し
お弁当を作ってもらえないことも
明るく話してくれました。

私は少しでも彼の力になりたいと思い
卒業まで彼の分のお弁当も作るようになりました。
この頃からすでに共依存関係にあったなんて
知るよしもありませんでした。

卒業後の希望は看護師になること。
資格があれば母に迷惑をかけずに
居場所が感じられない家から
早く自立ができると考えたのです。

また、病院関係の仕事だった
父から認めてもらいたいという
密かな期待もありました。

【苦労して得た看護師の称号と鎧】

数学が苦手だった私は受験に苦戦しながらも
見習い看護師を経て24歳で看護師の資格を取得

両親はとても喜んでくれ
生まれて初めて自分の頑張りを褒めて
もらえました。

頑張って努力して勝ち取った
「看護師としての自分」はその後の人生で
自分を守る鎧としてとても役立つものでした。


彼はガソリンスタンド勤務を経て営業職へ。
私は脳外科の急性期の勤務となり
お互いに社会人となり視野が広がっていきました。


白衣を着たら当然プロ意識でなければならず
常に緊張の連続で、特にスタッフの少ない夜勤が嫌いでした。
突然の急変患者への不安や恐怖が強く
夜勤に行く前も、休憩や仮眠時間もリラックスすることが出来ず
全く眠れないまま勤務に行きヘトヘトに。

夜勤明けで帰ると、ベットに倒れ込んで寝てしまうという生活でした。
それでも弱みを見せることが出来ない私は
淡々と目の前の仕事をこなすことに集中していました。

患者さんやスタッフにも笑顔で接することを心がけていたので
周りからは「冷静で落ち着いている」と評価されていました。

【自己中心的な彼にYESマンでその場しのぎの対応】

この頃より
彼の自己中心的ととれる言動や、行動についていくのが辛く感じるように
なることがありました。

夜勤や休みの日の過ごし方などで、自分の都合だけを通そうとするのです。
「お前が俺の休みに合わせろ」と真顔で言われたり
夜勤明けでもお構いなしに会いに来たり。

束縛と取れる行動もあり
私の勤務表を全て把握し
職場や飲み会の送り迎えは当たり前
それを愛情表現を捉える一方で息苦しく感じている自分もいました。

次第に喧嘩になり、別れ話になることもありました。
数ヶ月離れてみますが、寂しさや不安が襲ってきます。
向こうから謝られては許してしまうのでした。

結局お互いに慣れ親しんだ共依存関係から抜けられず
その場しのぎの対応を繰り返してしまいました。

【結婚したら変わってくれるかも…結婚、出産、専業主婦へ】


28歳の時、11年の交際を経て結婚が決まりました。
色々あったけれど、破天荒な彼にとっては自分が必要だと
感じていたし、結婚したら幸せにしてもらえるとも思いました。
仕事では疎遠だった会社経営者の実父と再開し
二人で事業を拡大、軌道に乗り始めていました。

翌年、長女出産
それを期に私は看護師を退職し専業主婦となります。
看護師の緊張感から解放されホッとした気持ちもあり
ゆっくりと流れる時間を久しぶりに感じることが出来ました。

夫の稼ぎで家計を支えてもらうため
忙しい夫に負担をかけないように気遣い
完全ワンオペ育児が始まりました。

この頃はなんの疑いもなく、夫が社会で働き
妻が家庭を守るという価値観が良いものと信じていました。


【長男出産、社会からの孤立感】

2年後長男が生まれました。

長男はマイペースでよく寝る子供で身体も丈夫だったのもあり
一人目育児よりは肩の力が抜けていました。
子供が二人で遊ぶようになると
愛おしさが増し幸せを感じる一方で
子育てに無関心に見える夫に対して空虚な気持ち
仕事や付き合いで忙しくしている夫への羨ましい気持ちが出てきました。
苦労して手に入れた看護師資格をブランクで無駄にしたくない思いや
社会との繋がりを持てないことへの孤立感も感じていました

【看護師復職チャレンジを否定する夫】

その頃、近所の託児所付きの病院でパート看護師を募集していました
夫に相談すると
「働いてくれなんて言ってない」
「やりたいなら家事、育児がおろそかにならないことが条件」
とされながらも働き始めます。


そして、確かに仕事中は
母や妻ではない自分らしさを取り戻すことが出来ている感覚がありました。

ところが、子供二人はは保育園から代わる代わる感染症をもらってくるし
登園の行き渋りもあり心が折れてしまいます。
帰ってきてからの怒涛の忙しさの時間にも、一歩足りともテレビの前から動かない夫。
夫の協力が得られないばかりか
「そんな事やってなんか意味あるの?」という仕事に対する否定で
自分が間違っている気がして自信を無くしていきます。

職場は温かく理解があったにも関わらず
家事育児との両立が一人では困難だと実感し1年で退職。
この件で、
「子供が大きくなるまでは、復職は諦めよう」と
自分を納得させました。

【裏切り行為】

そんな矢先に夫の女性関係での裏切り行為が発覚。
ショックと情けなさで涙さえ出ず唖然とします。

夫から謝罪をされ、為すすべもなく許すしかありませんでした。
「この人を選んだのは自分なのだから責任を持たなくてはならない
私が我慢すれば済むこと」
「こんなことは恥ずかしい、情けないこと」
と誰にも相談できず一人で思いを飲み込み
極力思い出さないようにし
無かったことしようと心の奥にしまい込みました。
が、そう思うほど怒りが蘇り
気持ちは沈み笑顔がなくなっていきました。


【夫からの暴言】

その後まもなく郊外のマイホームに引っ越しをしました。
夫は会社で取締役になります。
そのストレスからか実父とも度々トラブルを起こすようになります。

飲みに行っては朝帰りが増え
夜中に大声で起こされて
泥酔状態で暴言を吐くようになっていきました。
「お前は経営者の自覚が足りない」と言われ続けていましたが
どう自覚を持っていいか全くわかりませんでした。

「何かがおかしい」と感じながらも
小さな我が子達を守り育てることに必死でした。

【追いまくられる日々】

36歳で次女出産。3人の子供のワンオペ育児は
これまで以上に追いまくられるような日々となっていきます。

0歳児、5歳長男、7歳長女を抱えながら
家事はもちろん、幼稚園、それぞれの習い事の送迎や役員の仕事等に翻弄されます。

良い子育てや母でいることでしか、自分の存在価値を感じることが出来ず
子供を褒めてもらえるとまるで自分が褒められたかのような気持ちになり
自分のことは後回しにして、ますます頑張り続けました。



【実母のようになりたくない】

この頃、実母が癌で手術をし、その後うつ病を患います。
母は、看護師である私に頼ってくるようになりました。l
年老いて身体が弱った母は、口を開けば暗い表情で
過去の父に対する恨みや愚痴を繰り返すばかり。

「結婚して幸せなことなんて何ひとつなかった」と。

いくら不仲でも真面目に働き、家族を養ってくれた
父への感謝の言葉も一切なく
何より、その二人の子供である自分たちの存在を否定されたような
気持ちでした。

そんな言葉を聞きながら絶対に
「母のようになりたくない」
でも
「このままだったら、自分もそうなりかねない…」
「いったいどうしたら良いんだろう…」

私も夫も理想の夫婦像を持っていなかったこともあり
建設的な話し合いになることはなく
夫婦の溝は深くなっていくばかりでした。

夫の言い分はいつも
「感謝が足りない」
「もっと俺の事を理解しろ」
「思いやりがない」

「お前がおかしい」
特にアルコールが入ると
暴言がひどくなり、物や、飼い犬にも当たるのでした。

私は夫に言われている通り
「もっと優しい自分になりたいのになれない」
自分を責め、何を言われても
「自分が我慢すること」しか選べませんでした。

そして更に共依存関係をより強固にしていきました。


【念願の看護師復帰、心身フル回転の生活】

41歳の時、14年のブランクを経て
念願のパート看護師として復職し正職員へ。
(内科4年、外科1年、小児科3年、精神科2年勤務)
夫の仕事への理解は諦めていたので
相談することなく職場復帰を遂げます。


プライベートは常に頭と身体がフル回転。
座る暇もないほどに
カレンダーの予定は常にビッチりと
書き込まれている状態でした。

仮面夫婦状態給料運び人】

夫とは冷戦状態のまま最低限の会話しかしない仮面夫婦状態でした。
自分の機嫌によって家事のダメ出しをし
子供のことで関わりは持たないのに文句を言うため
一貫性のない態度に対し
私はできるだけ反応しないようになっていったのです。

子供達の前では父親のことを悪く言わないように
心がけていましたが
当然家庭の良くない雰囲気を察し
父親には自然に近づかなくなっていました。

でも、抑えていた怒りが爆発し
子供の前で言い争ってしまうことが何度もありました。
その後は
激しい自己嫌悪に襲われるのです。

そのうち会話すること自体を諦め
夫のことを「夫は給料運び人」と割り切り
何も期待しないようになっていました。

夫は私のことを「家政婦としか思われていないだろう」と感じていました。
文句を言われたくないので、家事は朝早く起きて済ませてから
仕事に行き、特に食事の支度は手を抜かないように必死でした。

それでも
「なんでこんな物食わせるの?他になんかないの?」
「腹減った。食事支度が遅い」
「ビールくれ」
と言い、座ったまま動かない夫に
怒りを通り越して
無言で対応するしかありませんでした。

【ついに原因不明の身体症状へ】


そのストレスはついに身体症状にも現れ
気管支喘息、嗅覚障害、帯状疱疹、不眠症になってしまいます
内科の薬や、ビタミン剤に頼りながら
日々をなんとかこなしていました

【もう離婚しかない】

夫婦関係性は益々悪化していき
なにか気に入らないことがあると怒鳴り
「おまえの歩み寄りが足りない」
「俺はサラリーマンのように暇じゃない」
自分でできることは少しでもやってほしいと頼むと
「そう言うなら俺と同じだけ給料をもってこい」
決り文句は
「気に入らないなら離婚だ。出ていけ」
事あるごとにそう言われるようになっていきました。

「もう離婚するしかない」と同意し
離婚届を役所に貰いに行き、家の査定を出したこともありました。
すると決まって
「考え直そう」と
態度を変えてくる夫
また立ち止まって動けなくなってしまいます

夫自身が親の離婚で苦しんだ経験を持ち、
同じことを繰り返したくないと思っていること
仕事に対しては真摯で要領も良く
人脈もあり社会的には問題がないこと
本当は気が小さくて威張って見せていること
それをわかっているのだから…と。

ママ友の中に、自分の意志を貫き
離婚をした人を見て羨ましく感じることもありました。

行動に移せない自分を責めたり
誰かに背中を押してもらいたい気持ちがあったり…

日によって自分の気持ちがコロコロ変わり
「本当は仲良くやっていきたい」自分と
「別れて新たな人生をやり直したい」自分が
いつも混在していました。

【心身の限界となりカウンセリングへ】

そんなときにテレビを見ていてあるカウンセラーの言葉に
涙が止まらなくなりました。

私の中で何が起きてるのかを知りたいと思い
カウンセリングを受けてみたいという気持ちが芽生えます

自己啓発本は好きでよく読んでいましたが
対面でカウンセリングや
心理療法を学ぶのは初めての経験でした。

初めて自分の気持ちを隠さずに
カウンセラーに
「夫婦関係が今とても辛い」ということが言えたとき
蕁麻疹が出現し
身体が震え涙が溢れてきました

自分で思う以上にストレスを抱え込み
心身が限界だったのです。

【感情がわからない】

最初は
「どう感じる?」
「どう思う?」
という質問をされても
自分の感情というものがわからなかったり
こんなこと言っても大丈夫なのかと
喉が詰まるような感じがして何も出てきませんでした。

そこでやっと、いかに自分が他人の意見や価値観に合わせ
感情を抑制して生きてきたかを思い知ったのです。
私にその時一番必要だったことは、
相手との関係性や離婚するしないの前に
自分が自分を理解し
我慢して抑え込んできた感情に
気づき解放すること
でした。
私はこれまで自分の辛さを受け止めてもらえるような
心の安全基地
どこにも持っていなかったのです。

【夫の変化】

心理療法を続けていくうちに
自分の凍りついていた感情が少しずつ溶けていくのを感じました。
自分のコミュニケーションの癖を見直し
言いたいことはしっかりと伝えることを続けていきました。

どんなに脅されても
「嫌なことは嫌という」
「出来ないことは出来ないという」
ということも
少しずつできるようになっていき
ストレスが確実に減っていくのがわかりました。


物理的にも心理的にも心地よい距離感を保つことを心がけ
夫が不機嫌でいても自分を責めることなく、心の余裕が出来ていきました。

すると徐々に夫との関係にも少しずつ変化が見られました。
私が言うことに耳を傾けてくれるようになり
家事を自ら手伝ってくれるようになってきたのです。

お風呂を洗ってくれたり
洗濯物を干してくれたり
ゴミを捨ててくれたり…
これには正直驚きました。

【30年ぶりの穏やかな感覚】


夫との相互的なコミュニケーションが
取れるようになってからは
子育ての悩みや迷いも格段に減り
次第に気管支喘息、嗅覚障害の症状も軽快
ぐっすりと眠れる日や
穏やかな気持ちでいられる日
が増えていきました

最終的には
離婚する、しないを、今無理に決めようとするのではなく
目の前の家族との繋がりを大切にしながら
自分らしい自由な人生を取り戻したい
自分の生きたい人生を自分で切り開いていきたいと
思うようになっていきました。

【カサンドラ症候群・共依存・HSPの理解】

更に心理学、脳科学の学びを深めながら
自分と夫の特性や気質(HSP、発達障害等)を理解していくことで
これまでの苦しみの原因が紐解けていきました

自分は共依存状態にあり、お互いの家庭環境が大きく影響していたことや
共感性の低い特性をもつパートナーによる、カサンドラ症候群に陥っていたのです。
原因がわかることで対処法が明確になり夫婦関係はどんどんラクになっていきました。

【対等な夫婦関係】

今では対等な夫婦関係となり
かけがえのない家族としてお互いを尊重できるようになりました。
周りからも
本当に仲良し家族だよね」と言われます。
何より嬉しいのは自分の思いと行動が一致して
心が穏やかで楽しい、嬉しいを感じられるようになったこと
です。


私はここまでくるのに30年以上という多大な時間と労力が
かかってしまいましたが、もっと早くにこれらの事を
知っていれば「もっと早く私の人生は変わっていたのに…」
という思いもあります
ですが、あの時カウンセリングに出会わなかったとしたら
今頃まだ先の見えない出口を探し続けていたかもしれません…

【カウンセラーの道へ】

現在は天職と思っていた看護師を退職し
HSP気質や自己否定から
カサンドラ症候群、共依存から抜けられず
苦しんでいる多くの方へ
マンツーマンカウンセリングを行っています。

パートナーと理解し合えない
モラハラをされている
誰にも相談できず一人で抱え込んでいる
原因不明の心身の不調があるなど
離婚しかないのかもしれない…と追い詰められ
長年の悩みを抱えているでも
じっくりとお話を伺いあなたにあった
解決策へ導いていきます。

このページをお読みくださった方にも
どうか悩み続ける時間を早く終わらせて
相手に振り回されず自分らしい穏やかな毎日を取り戻していただきたいと
心から願っています